#91 とん助の“なぜ“と真摯に向き合う私なりの方法

こんにちは。

妻です。

誰がどんなタイミングで何を読んでいるのか分からないけれど、1日1人くらいは、きっとヒデさんのnoteからこのブログを訪れてくれて、いくつかの記事を読んでくれている様子。ありがたい。

今日も休日ワンオペな私は、午前中に散歩をして、午後からはテレビとゲームと読書をして過ごしました。とん助はそんなのんびりな日も嫌いではない様子で、今は目の前でご機嫌にガリガリ君を食べています。

こぼすからという理由で器を持ちながらガリガリ君を食べるように教育してからというもの、真面目な彼は、その教えを忠実に守って、ガリガリ君を食べる時=お皿を出してからとなっています。そして、いつも持っているお皿の外にこぼしますw こぼさないためのお皿なのに“格好だけ“になっているという事実。難儀です。

とん助を見ていると、何事も、“格好だけ“にならないように、“なぜ“を教える必要があるなと感じます。まぁ、教えたとしても、すぐに忘れてしまって“格好だけ“になってしまうので、何度でも何度でも1万回でもいう必要があるのだと思いますが。

理由を説明するスタンスは、私よりもヒデさんの方が強く、かなり難しい理屈まで話します。理由を話す姿勢は尊敬も出来るし、自分もそうした方が良いなと律する気持ちにもなります。

話は変わりますが、子どもから出てくる“なぜ“には、なるべく答えた方が良いと、芦田愛菜さんのお母様が話していたという話を聞いて、私もとん助からの“なぜ“にはなるべく答えるようにしてきました。ただ、世の中の子どもたちがそうであるように、例外なくとん助からの“なぜ“攻撃も強いのなんのって。言葉をよく発することが出来るようになった3歳頃から現在も継続中であることに加え、1日に繰り出される頻度も尋常じゃありません。だから、どうしたってその対応が“面倒“なってきてしまいます。こちらも万年ヒマというわけではありませんからね。

でも、その気持ちをどうにか抑えに抑えて、何とか答えようとした結果、「何でだろうね。とん助は何でだと思う?」という質問返しを思いついたのです。これはとても有効な技でした。答えを教えてしまうより、はるかに威力があります。そして、私の場合には、とん助が思いもよらない突拍子もない答えを「かかはこう思うな〜」なんて言ってみるのです。すると、「え〜、それはないでしょ。こうなんじゃない?」などと考えるようになります。

いわゆる、“疑問“に対して“仮説“を立てて、そのあとに一緒に答えを探します。出来る限りアナログな方法を選びたいところですが、そこも、こちらはそこまでヒマではないので、Google先生に頼ったりします。そして、そうなのか〜と言って終わるようにしてきました。

例えば、この前はおでんのちくわを食べていてこんな会話になりました。(真夏のおでんも美味しかったですw)

とん助「ちくわって、どうして穴が空いているのかな」

妻「何でだろうね。とん助は何でだと思う?」

とん助「わかんない」

はい、出ました!「分からない」!!とん助に質問返しをするようになった結果、「分からない」という定型文の思考停止回答を連発するようになってしまったのです。ここで、効いてくるのが、先ほど説明した私の突拍子もない回答をするという技です。

妻「ちくわの真ん中って、きっとものすごく美味しいんだよ。だから、ちくわ工場の人たちが真ん中だけをくり抜いて、工場の人たちだけでその美味しいところを食べちゃうんじゃない?それで、残った外側だけを売り物にしてるんだと思うな」

とん助「えっ?それはないでしょ」

妻「そうかな?さっき、とん助はわかんないって言ってたじゃん。そうかもしれないよ」

とん助「えぇ〜、、、それなら、、、」

といった具合に、会話が続いていくわけです。とん助がどんな仮説を立てたのか、全く覚えていないのが残念ですが、多分、正解ではないことを言ったと思います。でも、どうしてそう考えたのかなどの質問をしたのは覚えています。

ここで自分に注意したいことは、あくまでも“仮説“なので、とん助の考えたことを否定しないことです。そして、自分もなるべく正解とはかけ離れた、とんでもないことを想像してみることです。相手が小学生にもなると、かなり現実的なことしか言わなくなってしまうのがとても寂しいところではありますが、どんなことでも考えることは自由だよ、そんな世界もあるかもしれないよということを教えてあげたいと思っています。

そんなこんなで仮説を立てるのですが、ウチの場合には、この仮説の段階で大抵のことはヒデさんが“正解“を言ってしまいます。大人だし、知識人なヒデさんは色々なことを知っているので、正解がわかっていてもおかしくはないのですが、その辺にはもう少しユーモアを持ってもらえたらなと感じています。稀に、正解を知らない場合には、ヒデさんが調べてくれて答えを発表するという流れになります。私は、あくまでも知らなかったこととして、とん助と一緒に驚いたり、感心したりするようにしています。

と、こんな具合に、ヒデシ家ではとん助からの“なぜなぜ“攻撃に日々、真摯に向き合っているわけです。

ただ、これは、我が子にだからできる芸当なのだなと、最近しみじみ思います。

というのも、最近、近所の子が絶賛『なんで?なんで?期』に入ったようで、何をするにも「何で〜?何で〜?」と聞いてくるのです。聞いてくること自体はいいのですが、元々、他人の子を可愛いと愛でる感情が乏しかった私としては、その質問に真っ向から対峙する気持ちになれません。「何でだろうね」と同じ返しはしますが、そのまま投げっぱなし。ただ、質問を受け流しているだけで、はなから、正解を答えることも、子どもに回答を探させることも放棄しています。同じ言葉を発していても、その先に見えている景色はまるで違うのです。

残念ながら、とん助と同じ熱量で他人の子と関わるのは、私には到底無理な話。他の母親がどうかはわかりませんが、どうやら私は他人の子に与えるほどの母性は持ち合わせていないようです。

ただ、一応、その子の親に「質問期にはこんな感じで対応しているよ」と話はします。可愛がりたいという気持ちが軽薄なだけで、敵対したいわけでも、嫌いなわけでもありませんから。その際には、私は育児の専門家でも何でもないので参考程度ということで、あくまでも「うちは〜」というスタンスであることに細心の注意を払いながらですがw

今は当たり前にそんなやりとりをしていますが、あと数年もしたら、とん助もどんどん成長してこんな馬鹿げた会話にも付き合ってくれなくなる時が来るのかもしれません。だから、そんな日が来るまでは、とん助の疑問を正面に受けながら一緒に考える日々を重ねていけたらと思います。

それでは、また。

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