#86 ヒデシの闇落ちから親子関係を考える

こんにちは。

妻です。

風が強く眠れない日が続くと同時に、なかなか良くならない風邪でも眠れない日が続いています。絶賛体調不良中。

さて、そんなことが関係しているのか、いないのか、昼間の仕事に出たヒデさんから一通の連絡が。たったひと言「病む」と。これはやばいやつだ、と、直感的に思う私。社長=父親からの毒吐きによりダメージ大の様子。定期的にあるやつ。自分の存在価値否定のようなモード。

困った。

「おはなし屋なおと」様のようになると決めたのは私。コーチとして生計を立てる、コーチを生業とすると決めたのも私。今まで学んだスピや相手へ寄り添うことができることを武器とすると決めたのも私。

だから、『自分がない』と感じさせてしまったのも私。

困った。

ヒデさんが本当にやりたいことは、それこそヒデさんにしか分からない。どうしたら『自分』で『自分』を認めてあげることができるのか、それが分かるのも『自分』しかない。

幼い子は、自分がやりたいことが明確で、自分がやりたいように出来ないと怒って泣いて、イヤイヤと反抗する。それなのに、いつからか、そんな自分の思いとは裏腹に我慢したり、周りの良いように振る舞うようになる。だって、周りがそうするように求めるから。そうじゃないと怒られるようになるから。こうして、自分が分からなくなってしまうのかもしれない。

思ったように、思った通りに自分を出すことができなくなった結果、自分の思いなんて「なんでも良い」になって、自分の価値を「どうでも良い」と考えるようになるのかもしれない。

否定する言葉。「お前なんて」「なんでこんなことができないんだ」「信用できない」「ダメだ」、、、こんな言葉を、一番近くに居るはずの親に言われ続けたら、そう洗脳されてもおかしくないと思ってしまう。

子育てをしていると、どうしても感情的になってしまって、ひどい言葉が出てくることもある。自分のイライラを子どもにすり替えて、子どもに当たってしまうこともある。ただのストレス発散のために怒ってしまっている瞬間や、弱い者いじめのようになってしまう瞬間だってある。

それは、親も人間だから、完璧じゃないから、弱いから、仕方がない面もある。それでも、そんな時には謝って、そんな瞬間を1秒でも減らせるようにしていこうとすることが大切だと思う。私は、絶賛、そうなりたいと頑張り中。そして、怒った瞬間も、これだけは言ってはいけないという言葉を決めて、それだけは言わないように努力しているところ。言ってしまった瞬間、全てが壊れてしまう言葉って、それぞれあると思うから。

親が発する言葉は、人格形成への影響力、子どもの世界を司ってしまう可能性、人生を左右してしまうかもしれない責任、そんなことを考える時間が、タイミングがあっても良いのかもしれない。

子どもが幼い頃に“子ども“をすることができないと、いつまで経っても“子ども“のままで、大人になれないのかもしれない。

親に認めてもらうこと、親に甘える経験、それって本当に大切なことなのかもしれない。

親だって、なんでもかんでも「無条件」にそれをするのが難しいことだってあるから、そこにこだわらずに、自分にご褒美をあげたり、子どもに少しの試練を与えたりしながら、少しずつでも「認める」経験を与えてあげることができると良いのかもしれない。

『かもしれない』ばっかり。

それでは、また。

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