こんにちは。
妻です。
本来なら今はとん助のスイミングの時間で、その時間を利用してこのブログを書いているはずなのですが、ここは家です。
とん助をスイミングの場所まで送り、更衣室の前まで入ったのに、そこからいつもの発作が始まったのです。はい、「寂しい」ってやつ。
「寂しい」「絶対ここにいて」「ここで待ってて」「一緒に来て」「寂しい」これの無限ループ。人目もはばからずに泣くとん助と、それに対して怒る私。はじめのうちは、怒りを抑えてなんとか抱きしめ、「大丈夫だよ」と声をかけていましたが、何度やってもダメで、開始時間が迫っても変わらず、行けず、怒りのままに帰ってきたというわけです。
帰りの車内、怒号が響き渡りました。声が枯れるほどに。
「いつまでお前の寂しいに付き合えばいいんだ。いつ変わるんだ。毎日の登校でも同じことの繰り返し。いつになったら頑張るんだよ。寂しいって言われるのが嫌で嫌で仕方がない。今までも絶対にそばに居たし、待っていたはずだ。ウソついたことがあったか?居なくなったことがあったか?」
そんなことを言っていたと思います。とん助が、それをどんな顔をして聞いていたのか、私は彼の顔を見ることもできませんでした。
どうして彼がそうなってしまったのか。
ヒデさんと私は、彼が変わったのはちょうど1年前だと思っています。ちょうど1年前、私は6週間入院していました。彼が年長の夏です。夏休みに入った日から入院生活が始まり、そこから彼は『寂しさ』と戦うことになりました。それまで『かか大好き』で一心同体のように生きてきたとん助。それ以前にも約1週間の入院を2回と4週間弱の入院を1回経験していましたが、物事をハッキリと理解し、計画的に入院することが分かっているという状況での入院は初めてだったので、前の3度の入院とは違ったようです。
かかの存在が近くになくなってしまったことにより彼を襲った『寂しさ』は、彼の心に大きな影を落とすことになります。日中でも元気がないことが多くなり、夜は『寂しさ』により眠れず、寝たと思ったら夜泣きが始まり、4日に1度くらいのペースで発熱したのです。仕事をしながら、家事をこなし、そんなとん助に寄り添い続けたヒデさんは本当にすごいと思います。ヒデさんがどうしても仕事の都合がつかない日は、友人家族に助けてもらいました。とん助を一人で預け、仕事に行きます。大好きなお友達と遊べることで楽しい時間を過ごさせてもらったことには感謝しかありません。毎日テレビ電話をしていましたが、消灯時間になり電話を切る時にはいつも悲しくなりました。
そんなことがあった1年前。退院当初はその『寂しさ』を埋めるために頑張らなきゃいけないと思っていましたが、『寂しさ』が消える様子もなく、次第に『寂しい』と言われることが私のストレスへと変化していきました。
こうして書いていて、客観的に自分を見て、気づいたことがあります。
とん助に『寂しい』と言われるたびに、もう近くに居るはずの私の存在が『無い』もののように扱われている気がして、私はどうしようもなく『悲しい』気持ちになっていたのです。もうここに居るのに、とん助の目の前に居て、抱きしめているのに『寂しい』と言われて、一番認めて欲しい存在のとん助に、存在を『否定』されているような気持ちになりました。
私が少し落ち着いた頃、少し落ち着いた様子のとん助が謝りにやって来ました。そこから話す時には、二人で向かい合って座り、両手を握って、お互いの顔を見合わせながら話しました。
結局、とん助がスイミングに行きたくなくなったのは、学校帰りにお友達と遊ぶ約束をしたのに、スイミングに行かなきゃいけないことになり、お友達との約束を破ってしまった、申し訳ない気持ちが溢れてしまったとのことでした。それが、表に出て来た時には、いつもの『寂しい』という言葉になって離れたくないと変換されてしまったので、私も意味が分からず、先ほどの気持ちが膨らみすぎて『激怒』になってしまったのだと思います。
よく、きちんと話を聞いて良かったです。
話してくれて良かったです。
とん助にも私の気持ちを話しました。すると、彼は大きな目にたくさんの涙を浮かべながら、少し納得したような顔をしていました。その顔を見て、私も泣きそうになりました。
“小学生 寂しい“と検索すると、『愛情不足です』というサイトがいくつもいくつも出てきます。とん助は『愛情不足』なのでしょうか。親にそんなつもりはなくても、愛情が子どもに伝わっていなければ、そうなってしまうのかもしれません。とん助が愛情不足なのかどうか、どうやって伝えたらいいのか、どうやったら伝わるのか、しばらく自問自答の日々が続きそうです。
それでは、また。