#53 固定概念によって更に子育てが難儀なものになっている事実

こんばんは。

妻です。

こんばんはと言って始めてみましたが、今はまだ昼間です。アップする頃には夜になってしまっていると思い、こんばんはと書き出してみました。

ヒデさんの文章ではこんばん『わ』と使うことが多く、これを見るたびに私は、勝手に、彼が損をしている気がしてたまらなくなります。大きなお世話かもしれませんが、こんばん『わ』と書く人がどうにも言葉をよく理解している人には思えないからです。こんばん『わ』と書く人から、何かを学ぶことに抵抗があるのかもしれません。完全なる固定概念ですが。

今日は、そんな、完全なる『固定概念』の話。

旅行から帰宅して一晩経ったわけですが、日常に戻った途端にとん助に怒り爆発な私。朝から怒鳴り散らしていたので、近所の方は「あっ、ヒデシさんのお家はみんな帰って来たのね」と思ったことでしょう。

なぜ怒ったのか。

とん助が、問題集の設問が分からないと言ってグズリながら本を持って来たので、説明しようとしたが、その説明を聞こうとせず更にグズり出したこと。間違えているところを指摘し、訂正するように促しても、「合ってる」と主張し直そうとしなかったこと。「それならやらなくてもいい、もうやめてしまえ」というと「やる!」と大声で怒鳴って来たこと。それでもぐずりながら訂正する様子もなく、「やる」を実行しなかったこと。

上記のことが発生し、我、怒鳴り散らすとなったわけです。

物に当たるのは良くないと教えつつ、物に当たってしまったことは反省。問題集の関係ない部分を怒り任せに破いてしまった。そして、これは不可抗力だったけど、引き戸が取れた。ドアを閉めたい私と、閉めることを阻止したいとん助が攻防した結果です。

うちは、一人になれる場所、鍵を掛けられる場所がない。これは、こんな風になってしまってから気がついた最大の難点です。一人になりたいのに、とん助はどこまでも追いかけてくる。くっつこうとする。この行動が私を更に苛立たせ、怒りを増長させます。離れたくても離れてくれない、私にとっては地獄です。

今日の闇は深く、こんな私が子どもを持つべきではなかったのかもしれないと考えるほど。泣かれたって、謝られたって、何をされたって、怒りはおさまりません。それなのに、日常は続いていて、怒り続けることも許されず、やらなければならないことに追われてしまうから、またこれを繰り返すのかもしれません。

ここで、『固定概念』の話。

私がとん助を注意したり怒ることのほとんどは、この私が考えている『固定概念』によってとん助が『より良く』なることを望んでいることに起因していると思うのです。そこを自覚しながらも、自分の感情をコントロールできないことが良くない。自分の考えを押し付けているからこその『反発』とも捉えられます。

自分の経験や育児に関する書籍を読み漁った結果生まれた『固定概念』。これを壊すことは至難の業です。

例えば、スイミングに通わせることもそのひとつ。本人が行きたいわけではありませんが、学校で泳ぎ方を教えてくれない今、泳げるようになるためには“誰か“が教えなければなりません。だから、スイミングに通わせているのです。しかし、とん助自身が“泳げるようになりたい“と望んだわけではなく、ヒデさんと私が“泳げた方が良い“と考えているのです。

家での勉強もそうです。学校で勉強につまずいたとしても、誰もフォローしてはくれません。そもそも、学校の勉強をしているだけで、高校受験や大学受験を戦えるのでしょうか。だから、自宅学習が必要になってくるのですが、それも、私が考えうるとん助の将来設計において“こうしておいた方が良いのではないか“ということに基づいています。とん助が望んだわけではないし、そんな未来に進むとも限りません。何かに秀でて、何かに没頭して、それが彼の稼ぐ術になることも十分あります。

そんなこんなを書いている途中にも、怒り爆発だった私。久しぶりに頭痛がするほど、怒り狂っています。本当に、文字通り“狂っている“と思う。

何が正解で、何が間違いなのか、全くわかりません。

コミュニケーションのプロでも、子育ては難儀なものです。

それでは、また。

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