こんにちは。
妻です。
タイトル通り、今日は私の39回目の誕生日。
サンキューです。
だから、
自分で自分のためにファーブルトンを焼きました。
ケーキです。
私も、見たことも食べたこともないので
焼き上がったこの物体が正解なのか分かりません。
ヒデさんは気に入った様子だったし
美味しくなかった訳ではありませんが、
私は、誕生日ケーキにはふさわしくないように思いました。
名前の響きより、5割り増しで素朴すぎました。
誕生日だからといって、何が変わる訳でもない日常だった訳ですが
なんとなく嬉しい。
旧友から年に一度の連絡があり
年甲斐もなく喜びに浸っています。
知り合ってから、毎年欠かさずに連絡をくれる彼女たち。
もう、20数年来の関係です。
当時はこんな関係になるとは思っていませんでしたが、
細々とでもこうして関係が続いていることには感謝しかありません。
私にとって、誕生日は、一年で最も感謝を感じる日です。
特に今回はサンキューですから、尚更です。
生んでくれた母に感謝。
宿してくれた父に感謝。
共に歩んでくれているヒデさんに感謝。
母にしてくれたとん助に感謝。
感謝、感謝なのです。
全てのものに感謝。
はい。
感謝することは良いことなのですが、
ただ、
この「感謝」が「義務」になってしまっては良くない。
『感謝しなければ、良いことが起きない』
という前提を、自分の中に作ってしまうことは違う。
とても難しく、理解しにくい理論ですね。
そして、
突然、論理的になってビックリしましたよね。
さて、話を戻しますと、
自分には、いつも良いことが起こる
だから、
いつも、常に、何事にも「感謝」するのです。
たくさん感謝しているから、良いことが起こる
のではないのです。
最近、“ヒーリング“を広めている人の話を聴く機会がありました。
その人が言っていたこと、
それも
『自分が、どんな前提の中で生きているのか』
ということでした。
“仕事“に対して
“お金“に対して
“親“に対して
“友人“に対して
皆さんは、どんな『前提』の中で生きていますか?
私の母は、とても働き者で、小さい頃から働いていたそうです。
彼女は大学を卒業してから定年退職するまで、
ずっと教員をしていて
私は、働いている母を尊敬していました。
そんな母の口癖は
「働かざる者食うべからず」です。
仕事や労働の対価として、
食べ物(お金)を得ることができる。
小さい頃からそんな話をされて育ったので
私は、「働かざるもの食うべからず」が前提の世界で生きていて、
自分が「働くこと」は当然のことだと思って生きてきました。
性別など関係なく当たり前に就職し、
結婚しても、妊娠しても、出産しても、育児中も
『母のように』
働くことで「お金」を得るのが普通だと思っていたのです。
実際に、そんな未来を想像していましたし
就職してから、
この組織の中で自分がどうなっていくか明確なビジョンもありました。
しかし、現実はそうなりませんでした。
結婚は想像より遥かに早いタイミングだったし、
妊娠は望み通りにならず、不妊治療もして、
完治が難しいとされる慢性腎臓病も発症し、
仕事を続けていくことが心身ともに難しくなって、
退職してしまったのです。
病気や様々なストレスに耐えられずに仕事を辞めた自分を
どこか許されない存在だと思い、
自分で自分を否定して
働いていない自分は「お金を得ることができない」存在だと
思い込んでいました。
でも、
お金を得る手段は“労働“だけではありません。
それを「頭で」分かっている状態から
「心も」分かっている状態になるには
私の場合には、3年もの月日が必要でした。
退職してから3年が経ち、
39歳となった今、やっと
自分の「前提」に気づき、それを見つめ直し、
書き換えることができた気がしています。
そして、やっと、
退職した自分を許せた気がしているのです。
今“ある“モノに気付いて、感謝する。
『仕事』=『お金』ではないことに気付く。
そんなところからスタートした39歳は、
私にとって忘れることが出来ない1年になる予感がしています。
38歳では踏み出すことが出来なかった一歩を
今日、やっと踏み出すことが出来ました。
この大きな一歩にも『感謝』です。
それでは、また。